相国寺(京都市 上京区) www.shokoku-ji.or.jp/
期間 ~6月4日(土)
時間 10:00~16:00
拝観料 一般、大学生800円・65歳以上、中高生700円
【法堂】豊臣秀吉の寄進で慶長10年(1605年)に再建。天井の「蟠竜図」は狩野光信の作で、手をたたくと反響することから、別名「鳴き龍」と呼ばれています。
狩野光信
永禄8年(1565年、1561年説もある)~慶長13年6月4日(1608年7月15日)
安土桃山時代の狩野派の絵師。狩野永徳の長男。狩野探幽は弟・孝信の子供で甥に当たる。
はじめ織田信長に仕え、父永徳とともに安土城の障壁画を描き、その後豊臣秀吉に仕えた。1590年(天正18年)に父永徳が没した後、山城国大原に知行100石を拝領、狩野派の指導者となり、肥後国名護屋城や徳川秀忠の邸宅などの障壁画を作成している。父永徳の豪壮な大画様式とは対照的な理知的で穏やかな作風は、当時の戦国武将たちの好みとは合わなかったらしく、「下手右京」と酷評を受け近世を通じて評価が低かった。しかし、祖父の狩野松栄や曽祖父狩野元信の画風や中世の大和絵を取り入れ、自然な奥行きのある構成や繊細な形姿の樹木・金雲などを描き、特に花鳥画に優れる。また、永徳時代には排斥の対象ですらあった長谷川派との親和を図り、新たな画題である風俗画に取り組むことで、永徳様式からの自立と新たな絵画領域の開拓を目指した。こうした光信の画業を継承する門人も多く、光信の画風はその後の狩野派に大きな影響を残した。
蟠龍図